ベッキー  は、つ・む・じ・風

111204.jpg 暖かめな日曜の朝です。先日の激寒Dayがまるで2日前のようです。普通にそのとおりじゃん。皆様いかがお過ごしですか、CDC担当の坂井です。
 本日の写真は紅葉(くれは)さんの下書き状態パネルです。特にやり方をお伝えしたわけではないのに、ガシガシ行ってしまいます。すばらしいです。コレが天性。コレが感。出来上がりが楽しみです。でもみんな自分で出来るようになっちゃったら僕の仕事がなくなりそうー!オゥイエス!
 と。先週の写真は結局撮らずじまいでした。嘘ついてごめんなさい。僕の脳メモリはそれほど容量が多いわけではなく、なにか大きなものがボーンと入ってくると、いろいろなことがメモリから外れてしまうようです。別にコミケの準備とかじゃないよ。納期早いと印刷所が割り引いてくれるから大急ぎって訳じゃないよ。
 さて。この日誌は「日誌」(といっても週誌だけれども)である以上、その日に何が起こったかを書き連ねる「べき」ではと思うのですが、反面、なんかこういう公的な運営として日誌を記録していくのは「イェーイ、オレタチ超楽しんでるぜぇ、すごいところだぜぇ」アピールに見えなくもなく。そこはかとなく痛さがにじみ出てしまうのが最近の悩みなんです。何を書く「べき」かと。
 しかしその「べき」思考については、もう少し突っ込んで考えた方が良さそうなものでして(え?)。「OOはOOであるべき」ほどツマラン考え方は無いのです。思考停止の常套句です。
 
 しかししかしの二重否定です。我らがニッポンは、べき思考に保全された社会のうえに成り立っていることは事実です。あながち無視はできません。我々は社会に順応して生きる「ベキ」なのです。大人の言うことを聞いて、お行儀よく、節制を心がけて……知るかそんなもん。そこで「タイ」思考です。相手に気持ちよく思って欲しいから、お行儀良くしてあげタイ。きみを元気付けてあげタイ。僕たちの地球を守りタイ。
 ベキは、使うほうは楽だし、優位性すら感じる言葉なので、大人は好んで使います。その大人の無知と思考の怠慢を問いただしても結局、新たなバトルを生むだけです。にゃので。自分の中にタイ変換を身につけることが重要です。これは絵を描くことにも似通っていて、描かなければいけない時と描きたい時ではまったくモノが違うとかを僕はお伝えしたかったのかもしれません。こんな遠回りに。
 さてこれが、日誌に書くべき内容かどうかはよくわかりません。メンバーのみんなにお伝えしたい事柄であることは事実です。いよいよ宗教じみてきました。次回、「只管打坐(しかんたざ)」。お見逃しなく。

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