「集まれること」について

少しずつ暖かくなってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。4月にSAKKA塾出版ONLINEを始めるべく、只今色々奮闘中であります。その中の1コンテンツとして「集まるという事の意味」みたいな記事を書いたのですが、更新中に他のボタンを押してしまい全消えしたので、切ないのでここに蛇足を交えて書き記しておきます。

SAKKA塾の第一サービスは「集まれること」です。「絵が上手くなること」ではありません。絵なんか、集まらなくっても上手くなります。でも、「集まれるからお金払って」って言うとみんな払ってくれないので、ほとんどの絵のお教室はこの、レッスンしますよー的な色合いを強めていきます。色合いなんです。自分の担当した生徒が何年も上手くならなくても責任を感じる講師なんざほとんどいませんもの。「絵が上手くなる」事をエサ、担保にしているのに、それが達成できなくても、その賠償はしない、という事です。

ではなんで、集まることに対してお金を払えないのか。理由のひとつは「自分は寂しいから、お金を払って集まりに行ってます」ってかっこ悪くて言いにくいからです。世間体ですね。クソみたいな理由です。自分がコミケに出始めたのはオンライン販売だけだと寂しいからです。制作友達が欲しかったからです。公言しています。いまだに多くの買い手さんからお菓子をもらえます。そんな話はいいです。

理由もう一つ。「お金をもらって集まれる」場所が他にあるからです。一般的には会社とか、バイトとか言います。それが、リモートなど、集まらなくていいよ、となってるのが昨今です。

もし、あなたが会社に行くのが「仕事のため」だとすれば、会社に行かないリモートになった今、その会社がつぶれなければいけません。確かにつぶれてしまった会社もありますけど、それはあなたが会社にいけないからじゃなくて、モノが売れなくなっただけです(そうじゃない会社もありますけどね)。

あなたが会社に行かなくてもその会社は潰れないのに、これまで通勤させていたということは、あなたが、もしくは社長が、あなたに仕事のためではなく、「仕事をしてる風な実感を得させる為」に他ならない訳です。

これまでの我が国は、そこそこ社員数いたほうが大会社としての信用も得られるし、さらにはチェックも管理もしきれないので、「仕事しない人枠」というものがだいたいどこの会社にもありました。体力のある会社は、結構そういう人を抱えられます。その仕事をしない人でも、「集まるちから」で、その会社に来てるからOKだと、自分、他人から評価されていたので、上手く紛れ込めた訳です。

話飛びますが、集団には一定数「ダメな」人間がいた方がよく回るという考え方があります。昔の歴史でやった「えた・ひにん」です。士農工商の下に更に低い階級を置くことで、ああなっちゃうぞと脅したり、自分も辛いけど自分よりさらに下がいることで、安心できたりします。仕事しない枠は、そういったシステムにも一役買っていたりします。言い方酷いな。

会社とは、「個人ではお金を稼ぐ能力の無い人間を、パーツとして機能させて、稼げるようにしてくれる画期的なシステム」のことです。本当に機能している人は、リモートでもいてくれなければ困るので会社は充分なケアをしますが、そのケアにリアルより余計に手間がかかるので、不要な人に手が回りません。

簡単に言えば、今後会社にとって、要る人、要らない人が、明確になってきています。つまりもう、えたひにんが要らないんです。

こういうと、なんかバッサリ感あるのですが、その人が「社会にとって」いるいらないは、また別のモノサシになるので、こっちの方が重要です。もう限界にきている資本主義を基準に考える必要はありません。それにこのクソ資本主義システムは、自分のやりたい事を達成するために利用するシステムすぎません。目的ではない筈です。

ひたすら引きこもり、Fxやデイトレードを繰り返して大金持ちになった人間性に欠陥だらけのネットジャンキーが、経験豊かで能力のある人間にでしゃばるなと命令できるのが資本主義です。カネは誰が出してもカネです。金持ちは他にいくらでもいます。他者によい影響を与え、あなたがいないと寂しいと言われる人間は替えが効きません。

自分が必要だと思い込んでいただけで実は全く不要だった、に、人生後半で気づく方が恐ろしいと思います。大急ぎで、自分が必要とされる場所をみつける、もしくは、必要とされる場所をつくる必要があるのです。

このあと、ようやく「集まれること」のお話になります。コンテンツとして書いたのはここから先だけです。


「集まるという事」

「集まりにくい社会」は、自己肯定感を得にくくなります。何らかの集団に所属し、一定の人と複数回接触する事で、だめな自分、良い他人。もしくは、良い自分、だめな他人みたいなものを判別していきます。ああいう人になりたいな、なりたくないな、みたいな思いを繰り返して、自分というモノを作って行く訳です。

毎回別の人との接触は自分というベースを構築する上ではちょっとハイレベルだと思うので、決まった人と長期にわたり接触することが望ましいと思います。言ってみれば、「学校」ですよね。学校はお勉強する事より、人格形成が主な履修内容だと自分は思います。

で。この集まりが出来なくなると「自分はコレで良いのか」が解らなくなって、不安になります。不安になると自信がなくなるから、余計に外に出られなくなります。

本来、人間は「集まれること」に対して快とか安心を覚える生き物だと思います。自分は他者から認められた存在である、という肯定感は、生きていく上では絶対必要です。SAKKA塾出版は、制作を通して、この時代を生き抜く力というか、安心感みたいなものを提供できればいいなって思います。


以上です。

上の方のこういう尖った(?)記事も、個人運営だからかけるのよ( ゚∀゚)ノ

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