集まれない弊害

マンボですね。まん延防止です。緊急事態宣言とほとんど変わんないじゃん!という国民総ツッコミが入りつつも、それが我が国ジャパンです。目先を変えればOKでしょ的な、朝三暮四の故事に出てくる猿みたいですねウッキー

さてさて、オンラインになりましたが、他者との交流が、オンラインだけになる事の弊害は、それが、人間に与える影響はそれなりに大きくなると思います。自分の忘備としても、そのあたりメモします。

集まるとはどういうことか?

たとえば、学校に行くのは「教科を勉強する為」ではないです。以前も書きましたが、集合体はモノを覚えるのに効率的であるとは言えないと思います。

でも「人として生きる基礎を勉強する為」の場合、集合体は非常に効率的です。なぜなら「人として生きる」とはそのまま、集合体を学ぶことに他ならないからです。

どういうことか。他者を使って自分を知る、自分の立ち位置や、ふるまいやすさ、生きやすさ等を知る事です。このなかで「他者との会話」の重要性について、知っておくと良いかなと思います。SAKKA塾でもよく言ってきた、その割に皆さんにおそらく届いてないものですが、を書きます。

たとえば、「お片付けをしなさい!」と、親に怒られる。

何故お片付けできないか?面倒だってのはあるかもしれないけど、自分が「片付いてない状態でも問題ない」からなんです。だから、親に「何故、片づけなきゃいけないの?」と聞ける人はまだいいですが、片づけないと怒られるから、しぶしぶ片付ける。

この「何故片付けなければいけないか?」疑問の答えはひとまず置いておきます。この時、友達に「親に怒られた」と話すことで、まず自分が、怒られたことを認識します。友達はなんて言うか

「あーウチもよく言われるよー」と言われたら「ああ、これは良くあることで、しかたないことなんだな」と思えるし

「酷い親だね!」と言われたらそう思っちゃう。でも、

「え?そんな散らかってたの?」と言われたら「うーん、服を全部出しっぱなしにした」と答えたとします。すると友達は「えー、床に服おくの嫌じゃない?」と。

「なんで?嫌じゃないけど……」「だってホコリつくし、私は、お気に入りの服を床に置きたくない」

ここで、新しい答えや、気づき、また、自分は「そういうのが平気な人間」という立ち位置を見つけられます。さらに、だったらどうするか、という次のステップへ進めます。

この、「次へ進む」というのが、脳を活性化させるんじゃないかなって思うんです。実は、これを一切しない人間というのも居て、そういう人たちは、誰かの仕組んだ罠に喜んで定住し、ゆっくりと沸騰するお湯の中で溺れていきます。ゆでガエルで検索を。

あ、いや、そんな話ではなく。そういった「何故」をまず、自分が話すことで言語化できる→問題の認識につながる。これは文章化よりハードルが低いので、SNSで考えを述べるよりもはるかに楽です。

言語化しないと何がいけないか?

怒られたことでなにかを得る訳ではなく、モヤっとがのこるだけで、何の解決にもならないのがよろしくないと思います。気にかかってる事を誰かに話すというのは、自分を成長させるためにすごく良い方法だと思うんです。

だから、集まれないのは、良くないんです。学校というのは、定期的にあつまり、会話ができるとても良いシステムです。

なので、疑似的にですが、SAKKA塾オンラインでは、ぐだぐだ喋る時間を設けようとしています。

おわり、にしようとおもったら、あ、その「何故お片付けをしなくてはいけないか?」なんですが、自分の答えは主に、脳の働きについてです

「散らかっている」→視覚が整理されていない→問題点が解らない→思考するチャンスが阻害される→新しいことを考えられない→考えられない事が問題だと思わない

的な感じです。美術関係では、混沌こそ安住の地、という人いますが、そういう人は頭がよくてお金持ちのパトロンさえ見つけられたら、問題ないと思います。ずる賢い人に騙されたら、騙されてる事すら判らないだろうし、大変かもしれませんが、でも、まぁ、それもまた人生。

あーあー川の流れのように。

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